ハイブリッドジャンルとしての川上作品〜境界線上のホライゾン感想第二回


再読出来たので境界線上のホライゾン感想その2。その1はこちら。シリーズ第1作という事で、今回境界線上のホライゾン(以下GENESISシリーズ)で川上氏が目指す方向性を妄想してみる。テーマは「ジャンル越境ではなくハイブリッドジャンルとしての川上作品」。
川上氏の作品といえば、都市シリーズにしろ、AHEADシリーズにしろ、その膨大な設定量にばかり目が行きがちではあるけれども、別の側面からみれば、「単に設定の為に作品を書いている」のではなく、「作品のテーマの為に設定を構築している」のではないだろうか、と思ったり。それは、川上氏の作品が毎回異なったテーマを設定しているように感じられるからだ。そのテーマとは、「小説に他ジャンルの要素を取り込む」事。
例えば、都市シリーズの小説版大阪では「バトル小説とTRPGの融合」。東西対立によって大阪に侵攻する東京勢とそれを迎え撃つ関西勢、間に立つ名古屋勢、というある意味ベタな展開に、職種概念の明確化や技能の成功判定というTRPGの要素を取り込む事で通常の小説では描写不足になりがちな戦闘描写に説得力を持たせる事に成功した。
同様に閉鎖都市巴里は「一人称小説とFPS(一人称視点シューティングゲーム)の融合」。ロボットを駆るFPSの一人称視点を小説の描写で再現する為に、「記述しなければ存在が成立しない世界」”閉鎖都市巴里”と、「ロボットと騎乗者が同一化する=ロボットと騎乗者の視点が一体化する」”重騎”の設定を構築する事で全編を通しての一人称視点に必然性を与えた。
そのように解釈すれば、機甲都市伯林は「現代戦記とファンタジーの融合」、電詞都市DTはまんま「小説+MMORPG(オンラインRPG)」となる。
脱線するが、逆に雑誌連載作品である矛盾都市東京と創雅都市SFはライトノベルの挿絵の必然性を担保するために、小説に他要素を加えるのではなく、挿絵というビジュアルに小説の諸要素を引き寄せ、文章と挿絵の主従関係を逆転させた。具体的には東京は「レトリック*1のビジュアル化」、SFは「地の文(情景描写等の三人称視点)のビジュアル化」によってページ内の文章と挿絵の比率を逆転させ「雑誌ならでは」の作品を作る事に成功した。
そして、前作の「終わりのクロニクルAHEADシリーズ」においては現代小説の世界に「神話」の要素が導入され、「現代」と様々な「神話」という相反する概念が反発しながらも最終的に融合していく過程を描いた。
では今作、GENESISシリーズはどうか。今作の世界はAHEADシリーズと地続きであり、AHEAD時代に異物であったファンタジー要素も最早普遍的な要素となっている。かつ、世界は宇宙時代から地球に出戻りし、西暦をやり直す、シューティングゲームの二週目のような世界。高校生と本田忠勝とエロゲーと教皇と魔女と航空戦艦と自動人形が同時に普通に存在する、戦国時代と現代とファンタジーとSFがごった煮になったカオス感溢れる世界設定となっている。
未だ一巻の上という段階ではあるが、今回、プロローグが「様々な兵科による集団戦闘」であった点に注目したい。前作までの戦闘は一騎打ちか、もしくは1対多の無双系のバトル描写がほとんどであった。だが、今回主人公の所属するクラスのメンバーは騎士、格闘家、弓使い、魔女(魔法使い)、竜族、忍者、etcとまさにRPGの職種が一通りそろっている。多対1、多対多のバトル描写がまれであったが、今作は国家間戦争が今後示唆されている事もあり、集団戦がメインとなるのではないだろうか。今作では、川上氏は「RPGの兵科分離された団体戦」もしくは「信長の野望のような戦略SLGゲーム」、あるいはその両方がテーマなのでは、と。上巻のクライマックスのバトルは前作を踏襲した一騎打ちだったが、上巻のラストを見るに下巻は集団戦による救出劇になる予感。
更に先の展開を言えば、一通り職種が揃う中で、攻撃の要となる剣士が不在なのはやはりその位置=副長に本田二代が入るからか?主人公が遊び人or吟遊詩人的な職種であるのが今後どう変化するのか(そもそも変化するのか)?とりあえず来月が楽しみだなあ、ってのは前回と変わらず。さて、この予想は当たるかな?どうだろう?

*1:例えば北風と話したり”nobody”と話したり。