右手に死を抱え、左手に狂気を抱えてワルツを踊る・・・感想:小川洋子「寡黙な死骸 みだらな弔い」

評価:7/10点

寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)

寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)


めずらしくジャンル小説でない普通の小説を読みました。小川洋子氏の連作短編集。
小川洋子氏の作品は「博士の愛した数式」を以前読んだ事があるくらいで、これがまた自分にとっては微妙な、粗はないけれども微妙にパンチが足りなくてどうにももにょる作品でそれ以来手を出していなかったのですが、紹介されて読んでみました。
女性作家にありがちな(偏見?)欲望の発露も抑制的で、割合抵抗なく読めました。
以下感想。
死と狂気の物語。一言で言えばまさしくそれなのですが、この作品にはミステリ的な驚天動地のトリックも、SF的な想像力も、ライトノベル的な妄想力もなく、プロット的にも、文体的にも淡々と話は進んでいきます。
「誰もが死と隣あわせであり、狂気もまた同様である」というのは使い古されたテーマではありますが、
冷蔵庫で迎える死と、腐ったケーキを見詰め続ける狂気。
ファストフードのゴミ箱への埋葬と、剥き出しの心臓への欲望。
そのような異常な、しかし日常の中に溶け込んだ10の死と狂気が淡々と描写される事で、「日常の薄皮一枚隔てた先の死と狂気」にリアリティが生まれます。
それぞれの短編内において、登場人物の間で展開される会話はどこかちぐはぐで、噛み合いません。まさしく常人と狂人の決して交わることのないディスコミュニケーション。しかしある一点で正気であった人物は、絶対的・特権的なな「正常」の側に立っている訳ではありません。
ある短編において狂人を見ていた筈の常人は、いつの間にか見られる狂人/死人に立場を変えます。絶対的・主観的な正気と狂気/生と死の境目は無く、相対的で曖昧な、広大な領域が広がるのみ。
連作短編集であるこの作品は、それぞれのエピソードが緩やかに繋がって行きますが、それは「死と狂気」によってであって、決して「正気の人間」によってではありません。人と人は決して繋がらず、ある人は死に、そしてある人は狂気に侵されます。死は狂気を呼び、狂気はまた死を呼び、観客不在のワルツのように物語は淡々と、曖昧に繋がっていきます。
生/正気は決して絶対的・特権的なものではなく、いつのまにかふと気づいた時に死/狂気の縁に片足を突っ込んでいるような、そんな曖昧なものでしかない。そんな事を想いました。淡々とした文体の中に、静かな虚無感が感じられる、良い作品です。