「once ダブリンの街角で」感想・・・ドキュメンタリータッチの映画をまともに鑑賞出来ないという文脈病

評価:4/10点(客観評価では6/10点・意味は後述)

単館系のマニアックな映画を観てきました。
あらすじとしては、アイルランドを舞台に掃除機修理屋の息子でストリートミュージシャンの男と街角で花を売るチェコ人女性が音楽をきっかけに出会い、惹かれていく、というもの。
面白かったのはベタな恋愛劇にとどまらず、さらりと社会問題を可視化しようとしている点。
男はしがない修理業に閉塞感を感じ、ロンドンで一旗あげようとしている。政治的には独立を維持しているアイルランドだが、経済的にはイギリスに依存せざるを得ず、「東京対地方」、「アメリカ対中南米」のような構造が透けて見える。
一方、女は半スラムのチェコ人移民街に家族と住み、アパート唯一のテレビを観に近所の男たちが部屋に押し寄せるような環境で生活を送っている。
音楽に対しての夢に充ち満ちた映画であるにも関わらず(であるからこそ)、現実は灰色の閉塞感に満ちている。あるいは因果が逆か。
ベタな恋愛映画に見せかけて、「互いに想う相手は違う(ネタバレ)」のも良いな、と思いました。
ただ、脚本・撮影技術共に稚拙な点が多く、そこは難点かな、と。


これが私個人的な感想なのか、それなりに共有可能な感想なのか解りませんが、一番気になったのは(カメラマンの手ブレが入るような)ドキュメンタリー的な手法で撮られている点でした。
所謂素人臭いインタビューのようなカメラワークで撮られているのですが、これが以前やっていたテレビ番組の「ガチンコ」にしか見えない(苦笑)。
「ガチンコ」はバラエティにドキュメンタリーの手法を導入することで虚構の中に一定のリアリティを保持する、というメソッドの完成形に近い存在だったわけですが、それ故にヤラセの発覚によって信用は地に墜ちました。そもそもガチンコのような「バラエティ」にドキュメンタリーレベルの真実性の強度を求める事自体が正気の沙汰ではないな、と当時思っていたのですが。みんなあれって完全なネタとして観てると思ったのですがどうなんでしょう。ともあれこれと前後して、ドキュメンタリー風のバラエティは普遍化していきます*1
しかし、「ガチンコ」の罪は、バラエティばかりではなく、ドキュメンタリーの真実性をも常に疑問符が付くようになってしまった点にあるのではないでしょうか。ガチンコを始めとするジャンル越境者によってバラエティ(虚構)とドキュメンタリー(真実)との境界が融解し、最早視聴者はバラエティと同程度にしかドキュメンタリーに真実性(非ヤラセ性)を担保出来なくなってしまったように思います。
んでこの映画に戻ると、稚拙なドキュメンタリータッチのカメラワークが、この映画自体完全なフィクションにも関わらず、「演出の拙い、出来の悪いドキュメンタリー映画」にしか見えなくなってしまうんですな。本来真実性/リアリティを担保する筈の生々しいドキュメンタリーの撮影手法が、却ってリアリティを減却してしまうという。


・・・なんて事を思ってしまい、まともに評価する事が出来ませんでした。しかし、一緒に鑑賞した映画ファン曰く、「あれはドキュメンタリーではなく、洋楽のPVを撮りたかったんだろう」との事。・・・私の感想は完全に誤読だったようです。本当にありがとうございました(苦笑)。音楽映画としてはなかなか、という事で冒頭の客観評価6/10点に繋がります。
でもね、こういう感想を持った人は他にもいると思うんだけどなぁ・・・。げに恐ろしきは文脈病、ということで。

*1:コント番組で何故か内輪ドッキリをやったりとか。