感想:リトル・チルドレン
公式サイト:http://www.little-children.net/
評価:7/10点
日曜に渋谷の文化村で鑑賞。文化村の映画館は初めて行ったのですが、もう少し大きな映画館の方が好みかな、と。いきなり蛇足ですが。
ともあれ、良い映画でした。
郊外の街に住む主婦サラは、いつも娘を遊ばせに来る公園での主婦付き合いに飽き飽きしていた。そんなある日、司法試験勉強中の“主夫”ブラッドが息子と公園にやってくる。互いの存在に興味を抱いた2人は、子供をダシにして市民プールで毎日会うようになる。そんな中、子供への性犯罪で服役していたロニーが釈放され、街に帰ってくる。ブラッドの友人で元警官のラリーはこれに過敏に反応、ロニーと老母への執拗な嫌がらせを開始するが…。
(goo映画よりあらすじ引用)
2つの軸が平行して映画は進行して行きます。
- 男は逃避を求め、女は特権を求める
一つ目の軸は専業主婦サラ(ケイト・ウィンスレット)と司法試験で浪人中の主夫ブラッド(パトリック・ウィルソン)の不倫関係。
詰まらない仕事人間(しかもエロサイトに嵌ってしまうような変態・苦笑)の夫を持つ専業主婦とばりばりのキャリアウーマンの妻を持つイケメンの主夫が不倫関係に陥る、というのは所謂ベタベタな不倫ドラマにありがちな筋。ただ、そんなベタな筋にも関わらず、凡百な不倫物と一線を画しているのが、徹底してベタな感情移入を妨げるカウンターを随所に配置している所。
サラが不倫に至るまでの筋は(夫があまりに駄目過ぎて)非常に共感出来るのですが、娘を無下に扱う様を見せられる事で途端にベタな感情移入から目を覚まさせられ、「あぁ、夫は駄目駄目だけどこの女も十分駄目だよね」と、メタな視点を回復させられてしまう。それはブラッドにしても同様。こいつがまたマッチョなイケメンにも関わらず何とも中途半端な駄目人間で、結局お前全部現実逃避してるだけだろ、と思わず突っ込みたくなってしまうのですが、その心情が妙にリアルで困ってしまうんですよね。男にとってかなり居心地の悪い映画でした(苦笑)。
メタな視点を維持させられる事で、結局こいつら互いにすれ違って夢見てるだけだよね、と思いながらも、感情移入はしてしまっているので何とも身につまされる、という。非常に嫌〜な気分にさせられる良い映画だと思います(苦笑)。
- 声の大きい者には理由がある
もう一つの軸が出所した性犯罪者のロニーと、彼を吊るし上げ、糾弾する元警官のラリーとの関係。
所謂ゾーニングによって性犯罪者の出所情報を地域住民に知らせる事の是非がこの映画のもうひとつのテーマになっています。街の至る所にロニーの顔写真が張られ、化け物のように扱う地域住民の姿は非常に滑稽ですが、ここでもロニーを「どうしようもない変態」*1として描写する事で一方的な感情移入を妨げています。「過度なゾーニングはどうかと思うけど、やっぱり変態は勘弁して欲しいよなぁ、う〜ん・・・」と、そんなもやもやした気分にさせられます。
そしてまた熱狂的にロニーと母に対して執拗な嫌がらせをするラリーの描写が非常にアレな感じでいろいろと考えさせられました。絶対的な正義を振りかざして大きな声で騒ぐ人には、「何故そこまで必死なのか」理由があるものだよなぁ、と*2。そしてそういった運動は結局のところ一部の声の大きな者が騒いでるだけで、案外周囲はそれに引っ張られているだけでどうでも良かったりするものだったりして。こういうのってイデオロギーの左右を問わない、全ての「運動」に避けられない問題だよなぁ、なんて事を思いました。
まとめ。
非常にメタとベタのバランスが巧く取れた珍しいタイプの良い映画でした。序盤〜中盤、ナレーションで視点人物の心情をだだ漏れに描写するのは正直微妙かな、とも思いましたが、観客をメタな視点に強制的に引き上げる効果はあったのではないかと(あんまり好きじゃないですが)。ストーリー的にも奇麗に落ちているのですが、「結局こいつら結局何も変わらないんじゃないかなぁ」なんて終わってからふと思ってしまうのは常にベタとメタの間で宙ぶらりんにさせた演出の効果かな、と。