失われない名作の価値〜感想:夏への扉

評価:8/10点

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))


オールタイムベスト級の名作を初めて読んでみました。
何よりまずこの作品が約50年前、1957年に書かれた事が驚き。未来に実現するであろう新技術への憧憬が見事に表現されています。いわゆるワープロのような機械の登場や家事労働の機械化・自動化等、未来に対して有るべき方向性への示唆がふんだんに盛り込まれています。
また、世界設定が非常に重層的。本作は1970年と2000年を舞台にしているのですが、書かれた当時からみて2段階の「未来」を説得力をもって描かれています。先進的な未来像を構築するにあたり、1970年に至るまでの(当時から観て既に)過去をも改変し、パラレルな世界を構築している、という点をみても、非常に構築力の高い作品だと思います。歴史は常に地続きであり、過去・現在・未来は相対的なものである、というテーマに説得力を持たせるその背景の緻密さは流石としか。
しかし、この作品の最大の魅力は、そのSF的な世界観の構築力の高さよりも、むしろ、人間ドラマとしての表現力の高さに有ると思います。
主人公が自ら発明した製品で事業に成功しながらも、共同経営者と婚約者に嵌められる、というくだりはどこか人を信用出来ない/出来るほどに人間と深く関われない技術バカの欠陥故。しかし主人公は自らの持つ技術力ではなく、「技術知識を吸収し、応用する」事に貪欲であるが故に、30年後の未来、2000年に冷凍睡眠によって突然現れても、周囲と自分の持つ技術力の圧倒的な格差に絶望する事無く、積極的に吸収して追いつこうとし、そしてその応用力・発想力は30年のタイムラグを越える力を発揮します。そこにあるのは、常に発展・向上していく科学技術と、それを指向し、実現させていく「人間の飽くなき探求心」への希望と憧憬ではないかと。
また、技術バカ故のディスコミュニケーションという欠陥もまた、現在での挫折と、未来での経験によって、人間的に成長していきます。シンプルな成長小説として、さわやかな読後感をもたらしてくれます。それがジャンル小説の枠を越えた「物語」としての価値を数段高めているのでは無いかと思います。
それから「猫SF」の異名に違わず、猫好きは必読。作者の猫への愛に溢れた作品です。

グレッグ・イーガンのようなガチガチのハードSFも良いですが、こういうハードな世界観をオブラートに包んだ青春小説的な作品も良いなあと思いました。
口当たりはさわやか、でも一枚オブラートをめくればそこには深いSFへの思考が隠されています。SF未読者に勧めるならまずはこれ、という評価にも納得。ジャンル小説としてのSFに抵抗がある人も、割合すんなりと読めるのではないでしょうか。
しかし、やっぱり良い作品を読むと、また次を読みたくなりますね。読書へのモチベーションが一気に上がる感じ。次は何を読もうかなあ。現代に戻るか、古典をもっと読むか。悩ましいなあ(苦笑)。